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2017年6月25日日曜日

国内モータースポーツ初のヒルクライムレース/伊豆長岡 (静岡県)

ここ数年でぐぐっと開催が増え、イベントの露出も増えてきた自動車のヒルクライムレース。
モータースポーツの歴史の中でも、山や丘を登りタイムを競う競技形式はモータースポーツの中でも単純かつ歴史ある競技。
そんな自動車ヒルクライムレースが記録上日本で初めて行われたとされる場所を紹介したい。

第二次大戦後まもなく、駐留米軍将校が中心となって、1951年に「Sports Car Club of Japan(SCCJ)」という国内初のモータースポーツ団体が創立され、戦後の日本モータースポーツ黎明期が始まった。
もちろん、現代的な常設サーキットは未だ日本にはなく、船橋のオートレース場(2016年まで存在した場所とは異なる)での競技や茂原飛行場での3時間耐久レース、更に東京・京都間の公道ロードレース(!)などが開催され、日本に様々な形のモータースポーツがもたらされた。

その後、米軍人が続々帰国した後にSCCJは休会になったものの、日本人の有志が1955年に同団体を再発足させた。
 この当時の発起人には、現在、伊藤忠自動車相談役の野沢三喜三氏、アメリカ日産社長の片山豊氏、自動車評論家として、またモータースポーツ界に欠くべからず存在である大和通考氏、佐藤健司氏が顔を並べていました。
(JAFスポーツ 1967年8月号 p10-11)
また、旧SCCJ所属の米軍人が創立した東京スポーツカークラブ(TSCC)なども誕生し、共同で米軍基地の飛行場でジムカーナやオートクロス競技が行われていたという。

そのSCCJが主催した日本初のヒルクライムレースが1956年7月15日に静岡県の伊豆長岡で開催された。
伊豆長岡でのヒルクライム競技はこの後SCCJとTSCCが交互に主催し、競技には米軍人が持ってくる最新のスポーツカーが多数揃った。
ル・マンで使われた中古のアストンマーティンがヒルクライムに参加した事もあったという。

戦後初の近代的な常設サーキットである鈴鹿サーキットが完成した後も、このヒルクライムコースでの競技は行われた。
1964年には日本グランプリの直後に公認競技としてのヒルクライムが開催され、グランプリに参戦したワークスマシンが多数持ち込まれたという。

1967年のJAFスポーツに回顧録として書かれた記事を参考に伊豆長岡、距離約400m、全面舗装の坂、大小7箇所のコーナーという特徴から、ここがコースだったのではないかと推測する。
なお、場所が正しいかは定かではない。
(1962年 国土地理院の航空写真より 場所は推定)


1967年の時点でこのヒルクライムコースは周囲が住宅になり使用できなくなったとの記述がある。

鈴鹿サーキットが出来る以前でも黎明期のモータースポーツフリークは様々な形でモータースポーツを楽しんでいた。
そこから日本のモータースポーツの基礎が築かれていった。
現在においても日本モータースポーツ史において重要な場所の一つであった事は間違いないだろう。

一般的には知られていなかったが、日本におけるヒルクライム競技の歴史は既に60年を越えていたのだった。

(Google Mapより)



(推定)

参考
JAFスポーツ 1967年 8月号 p10-11 「楽しきかなヒルクライム」
http://www.iom1960.com/history-suzuka/hs-history-suzuka.html
http://www.sccj.gr.jp/history.htm