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2016年8月22日月曜日

びわ湖スピードランド / レークビワハイランド (滋賀県)

びわ湖スピードランド / レークビワハイランド
外周コース約700m (750mという表記もある)

元々は始まりは琵琶湖大橋たもとにあったドライブイン、「ビック」の広場を借用してジムカーナ競技を始めたのがきっかけだったようだ。
8月4日OCCKが、琵琶湖大橋のたもとにあるドライブインの広場――ビワ湖スピードランド――を借りて開催したのがきっかけとなって、今後、ここでのハイスピード・ジムカーナが盛んになりそうだ。 (JAFスポーツ 1967年)
当時ドライブイン広場はダートになっており、当時のジムカーナレイアウトが掲載されている。
当時開催されたジムカーナのレイアウト例

広場時代の写真 土煙をあげている事からダートだという事がわかる

そのドライブインを経営していた名神観光㈱がサーキット建設を決定、広場をサーキットとして改築することとなった。
9月末完成を目指し、現在舗装工事中。これが完成すれば、約26,400㎡の競技コース、付帯設備としてガードレール(コース周囲全部)、フェンス、パドックスペース、クラブハウスなどもある一大ジムカーナコースとなる。 (JAFスポーツ 1967年)

1972年の航空写真より

こうして、完成されたびわ湖スピードランドは外周700mのオーバル状コースからインフィールドに様々な浮島が設置されたようなジムカーナコースとなっている。
一番緩いコーナーが48R、キツいコーナーが1.5R、コース幅は9~21mである。
なお、中央の島には鳥居のマークがあるので、何かが祀られていたのではないかと思われる。

詳細なコース図(オートテクニックより)

コース写真(オートテクニックより)

貴重な当時のサーキット映像がYouTubeにアップロードされていたので紹介したい。


途中から南側に遊園地ができ、「レークビワハイランド」という遊園地としてオープンしていたようである。
パドックスペースも一部遊具に潰されたようだ。

1975年の航空写真より 南側に遊園地が出来た

主にジムカーナ競技が行われているが、その他、ゴーカート、そしてストックカーレースも外周コースで開催された。
特筆すべき点としては、日本で初めてスリックタイヤが導入されたのがこのレークビワハイランドで行われたストックカーレースであった。
ただし、レースはかなりの大雨に見舞われ、レースが途中で中断、終了されるという程だったので、実際レースにスリックタイヤは投入されていないと思われる。
http://www.jaf.or.jp/CGI/msports/results/n-race/detail-result.cgi?race_id=1711


サーキットとして、いつまで存在していたかは定かではないが、ゴーカート場としては使われていた様子である。
しかし、1982年の航空写真では既にサーキットの一部がテニスコートによって潰されている様子が見られる。
遊園地のゴーカート場としては最後まで使われていたようだ。

1982年の航空写真 何らかの用途では使われているように見える

その後、別のテーマパークに転用されるなどして、サーキットは駐車場となってしまったという。
現在は、不名誉にも開店休業状態でネット上で有名となってしまったショッピングモール「ピエリ守山」の駐車場となっている。



※カート場「琵琶湖スポーツランド」とは別である

2016年8月21日日曜日

NAC箱根スピードウェイ / 伊豆スピードウェイ / 伊豆ハイスピード・クライム・コース (静岡)

2016/04/01一部追記
2016/08/21一部改訂、追記

NAC箱根スピードウェイ / 伊豆スピードウェイ
サーキット部分 / 1.8km
オーバルコース / 2.4km


伊豆韮山サーキット」でググると真っ先に出てくるYahoo知恵袋の記事では、日本サイクルスポーツセンターの事だと紹介されているが、正確には伊豆韮山サーキットではなく別のサーキット建設の計画があった。

これは「NAC箱根スピードウェイ」や「伊豆スピードウェイ」などと呼ばれていたサーキットである。

オートスポーツ1965年4月号には"花ざかりのレース場建設計画"として、鈴鹿サーキットでの日本グランプリ成功を受け、様々な場所で湧いたサーキットの建設計画が紹介されている記事である。
この中にとして紹介されている部分から抜粋しよう。
これは日本オートクラブのめんめんが資金を出し合って建設を進めているレース・コース。第1期工事として1800mのサーキット、第2期工事として2400mの楕円コースが計画されているが、現在では第1期分のうち約600mの直線コースが完成している。
とあり、簡単なコース図が掲載されているが、まさしく現在の日本サイクルスポーツセンターと同じ場所にある事が分かる。

(オートスポーツ 1965年 4月号より)
日本サイクルスポーツセンター

大きな地図で見る

1965年4月の記事には"ダートコースながら、「NAC箱根スピードウェイ」を建設中"とある。
将来的にはロードコース、オーバルトラックを建設し、"「レーサー村」の建設も計画している。"とある

60年代~70年代初頭ははこの「日本オートクラブ(NAC)」という団体がストックカーレースを各地で開催していた。
まだ日本に鈴鹿サーキットしか存在していない65年4月時点では主に大井や川口のオートレース場を使用してストックカーレースが行われていた。
1964年のストックカーレースではプリンス・グロリアに乗る当時22歳の生沢徹が2度優勝している。
なお、当時のオートレース場はダートトラックである。

その為、常設のサーキットかつデイトナスピードウェイを参考にしたオーバルトラックの建設を当時から掲げていたのだった。

この辺りの経緯についてはNAC代表である塩沢進午氏の著書「日本モーターレース創造の軌跡」に詳しい。
なお、同時並行的に進められていた日本ナスカー株式会社(当時)による富士スピードウェイに関してはオーバルトラックから既にロードコースとしての計画に変更されている。

私どもは今日、日本最大級のスポーツ施設の一つとなっているサイクルスポーツセンターと競輪学校のある場所に案内されました。
 ここが一周4000mのオーバルコースの建設予定地ということでした。保証金を支払った予約契約書によると広さは200ヘクタール、民有地の坪単価は380円でした。その日は、5月初旬のさわやかな快晴でした。全景が見渡せた平坦な、丘の上での用地の見学では、全員、採草地の芝生の上に横になって、この地でのスーパースピードウェイの完成とレースを夢見ていたのです。(日本モーターレース創造の軌跡 p88-89)


コメント欄でminx-dx様からコメントを頂きまして、そこから一部引用させて頂きます。
伊豆スーパースピードウェイ計画地?と思われる場所に行ったことがあります。サイクルスポーツセンターの下田側だったとおもいますが、山の中に木が生えていない広大な土地が広がっていました。ヒルクライムやオフロードレースは70年代初頭まで行われていたようですね。
実地に赴いた方のコメントを頂きました。

実際に1966年頃のオートスポーツに建設予定地でのオフロードレース開催がされたという記録がある他、1967年のJAFスポーツには"キングオブザマウンテン"というヒルクライム競技が行われている記録がある。
7月30日 NAC・SSSA第3回キングオブザ・マウンテン 制限付き NAC、SSSA 伊豆モータースピードウェイ 
11月23日 第4回キングオブザマウンテン 制限付き NAC 伊豆修善寺 
(JAFスポーツ 1967年5月号 p29) 
サイクルスポーツセンターから下田側、つまり南側の土地に注目してみる。
多少開けた場所を発見することが出来た。
上記のコース図には南側に河川らしき図が見られるが、実際にこの場所の南側には川が流れている。





そこで過去の航空写真から同じ場所を見てみる。

1962年

1962年の同じ場所になるが、この頃はまだ、何も着工されていない頃である。
次に、1967年の同じ場所の航空写真

1967年
ある程度木が切り払われ、敷地が現れたようにみえる、そして、東側に周回路のような場所が見える。

そして、今の航空写真にオートスポーツ1965年4月号の情報に沿ってコース図を描いてみる。
Googleの航空写真に書き込んだ図
かなりコース図に沿って敷地が広がっているように見える。
つまり、今のサイクルスポーツセンターとは南側の敷地に本来のサーキット建設予定地があったのではないかと思われる。


実際にこの推測が合っているかは不明だが、塩沢進午氏の著書、日本モーターレース創造の軌跡(ネコパブリッシング)から一部引用すると
 その用地は、伊豆修善寺役場と地元民が人寄せの出来る「企業誘致」をしていた場所でした。広さは100万坪でした。1部は大仁田町原野、中心は修善寺町大野分の桑木平でした。この誘致に当たっては修善寺町は町有の約20万坪を無償で提供する用意までありました。
 山西社長は、当時の修善寺町大野区長小川守男氏と民有地の売買の予約をして約束証文としました。坪単価380円でした。 (p125)
とある。
ちょうど、この場所の西側が"静岡県伊豆市大野"という住所になるので、ここがサーキット建設予定地とほぼ間違いないのではないかと思われる。



そして、実際に東側にある周回路が前述されていたヒルクライム、オフロードレースの会場となっていた場所である。
ここは「伊豆ハイスピード・クライム・コース」として紹介されている。

伊豆ハイスピード・クライム・コース
所在地 伊豆修善寺町夏刈
ダート・コース 約1.2~1.4km
幅 10m, 高低差40m
コース使用 1日30,000円
コース図 JAFスポーツ 1967年8月号


ヒルクライムコース 写真

このサーキット計画が頓挫した後、NACと塩沢進午氏は「日本平スピードウェイ」や「東京湾岸スピードウェイ」などオーバルトラックの計画を複数立ち上げており、前者に関しては建設途中で頓挫している。
更に青森県の「むつ湾スピードウェイ」にてJAF脱退後、サーキットのオープニングレースとして、ストックカーレースを行っている。

-参考-
日本モーターレース創造の軌跡 (ネコパブリッシング)
オートスポーツ1965年4月号
JAFスポーツ 1967年7月号
JAFスポーツ 1967年8月号
JAFのリザルト http://www.jaf.or.jp/msports/results/n-race/index.htm

2016年5月9日月曜日

ジャパン・インディ・モータースピードウェイ / オートテクノポリス(関東/茨城?)

関東圏にオーバルサーキット新設年に1回インディ・レース!
 11月6日、かねてから噂に上がっていた、インディ・タイプのオーバル・サーキット建設プロジェクトが発表された。
 これはインディアナポリス・モーター・スピードウェイ・コーポレーション(IMS)とライセンス契約を結んだ共同システム(株)が発表したオートテクノポリス構想の一環となるもので、具体的には関東圏に280ha(85万坪)の用地を確保、全長4kmのオーバル・コース(インフィールドに5.4kmのロード・コースを併設)を建設、CARTのシリーズ戦を年1回招へいするというもので、サーキット以外にも3つのゾーンで形成されることになっている。
 具体的な作業としては現在、3カ所の候補地のなかから建設場所を検討中だが、用地決定の後に、20社ほどの共同出資(約500億円を予定)で新会社:ジャパン・インディ・モーター・スピードウェイ(JIMS)を設立、建設の推進にあたることになって94年完成予定でプロジェクトが進行しているとのこと。
 IMSとの契約調印式にはIMSのアントン・H・ジョージ筆頭副社長が来日、またその後に行なわれた記者発表会にはモータースポーツ関係者以外にも政財界からの出席者も多く、改めてプロジェクトの大きさを認識させた。
 FIA/FISAとCARTの関係など、CARTインディ・カー・レース実現までには解決すべき難問も山積しているが、実現を期待したいものだ。 
(オートテクニック 1989年12月号 p77) 
(イメージ図? CARBOY 1990年) 

そういえば、オーバルコースをつくってインディを日本に呼んじゃおう、という「オートテクノポリス」も、コンサートホールからホテル、ショッピングエリア、レストランと、生活のあるスペースを目指している。ここの建設計画には、オーバルコース以外に5.6kmのテクニカルコースとホッドロッド場ってのがあるんだ。 (中略) 
インディ用のオーバルコースを建設予定の「オートテクノポリス」は、記者会見の席で場所を関東というだけで明確にしなかったが、CB氏によると、ある場所でレンコン畑をぶっつぶそうとしているらしい。で、そこの町長さんがサーキット視察をしているという。キーワードは、利根川、水郷で、このあたりでレンコン畑というと、千葉県には広大なレンコン畑はなさそう、もうひとつのレンコン名産地は茨城県の霞ヶ浦近辺だが。 (CARBOY 1990年  一部抜粋) 

1989年11月の報道によると、施設名は「ジャパン・インディ・モータースピードウェイ」となり、長期的なプランとして、インディ500参戦ドライバー、車による「Japan Indy」を毎年開催するという構想だったようだ。

当時、FISA(国際自動車スポーツ連盟、現FIA)がオーバルレースを基本とした世界選手権を行う構想があり、アメリカのオーバルトラックの他にヨーロッパ、日本の未建設のオーバルトラックが開催地の頭数に入っていた。
The loudest shot in the CART-FISA battle was fired Oct. 10, when FISA's World Council, meeting in Paris, announced plans for an international oval-track series, starting in 1992, with races at as-yet-unbuilt tracks in Japan and Europe and, presumably, the speedway. (ニューヨーク・タイムズ 1990年10月29日http://www.nytimes.com/1990/10/29/sports/auto-racing-indy-takes-a-worldwide-view.html )
ちなみに、この件ではCARTはFISAが揉めており、1989年には富士スピードウェイでの開催がFISAの圧力によって中止になる出来事も起きていた。

結果、日本でのアメリカンオーバルレースは約10年後、1998年ツインリンクもてぎにて行われたのであった。

なお、この計画を主導していた企業は十勝スピードウェイなどの建設にも出資をしている。

-参考-
http://www.upi.com/Archives/1989/11/07/Indy-name-to-be-used-in-Japan-racing/9714626418000/
http://www.nytimes.com/1990/10/29/sports/auto-racing-indy-takes-a-worldwide-view.html
オートテクニック 1989年12月号
オートテクニック 1990年8月号
CARBOY 1990年