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2016年8月21日日曜日

NAC箱根スピードウェイ / 伊豆スピードウェイ / 伊豆ハイスピード・クライム・コース (静岡)

2016/04/01一部追記
2016/08/21一部改訂、追記

NAC箱根スピードウェイ / 伊豆スピードウェイ
サーキット部分 / 1.8km
オーバルコース / 2.4km


伊豆韮山サーキット」でググると真っ先に出てくるYahoo知恵袋の記事では、日本サイクルスポーツセンターの事だと紹介されているが、正確には伊豆韮山サーキットではなく別のサーキット建設の計画があった。

これは「NAC箱根スピードウェイ」や「伊豆スピードウェイ」などと呼ばれていたサーキットである。

オートスポーツ1965年4月号には"花ざかりのレース場建設計画"として、鈴鹿サーキットでの日本グランプリ成功を受け、様々な場所で湧いたサーキットの建設計画が紹介されている記事である。
この中にとして紹介されている部分から抜粋しよう。
これは日本オートクラブのめんめんが資金を出し合って建設を進めているレース・コース。第1期工事として1800mのサーキット、第2期工事として2400mの楕円コースが計画されているが、現在では第1期分のうち約600mの直線コースが完成している。
とあり、簡単なコース図が掲載されているが、まさしく現在の日本サイクルスポーツセンターと同じ場所にある事が分かる。

(オートスポーツ 1965年 4月号より)
日本サイクルスポーツセンター

大きな地図で見る

1965年4月の記事には"ダートコースながら、「NAC箱根スピードウェイ」を建設中"とある。
将来的にはロードコース、オーバルトラックを建設し、"「レーサー村」の建設も計画している。"とある

60年代~70年代初頭ははこの「日本オートクラブ(NAC)」という団体がストックカーレースを各地で開催していた。
まだ日本に鈴鹿サーキットしか存在していない65年4月時点では主に大井や川口のオートレース場を使用してストックカーレースが行われていた。
1964年のストックカーレースではプリンス・グロリアに乗る当時22歳の生沢徹が2度優勝している。
なお、当時のオートレース場はダートトラックである。

その為、常設のサーキットかつデイトナスピードウェイを参考にしたオーバルトラックの建設を当時から掲げていたのだった。

この辺りの経緯についてはNAC代表である塩沢進午氏の著書「日本モーターレース創造の軌跡」に詳しい。
なお、同時並行的に進められていた日本ナスカー株式会社(当時)による富士スピードウェイに関してはオーバルトラックから既にロードコースとしての計画に変更されている。

私どもは今日、日本最大級のスポーツ施設の一つとなっているサイクルスポーツセンターと競輪学校のある場所に案内されました。
 ここが一周4000mのオーバルコースの建設予定地ということでした。保証金を支払った予約契約書によると広さは200ヘクタール、民有地の坪単価は380円でした。その日は、5月初旬のさわやかな快晴でした。全景が見渡せた平坦な、丘の上での用地の見学では、全員、採草地の芝生の上に横になって、この地でのスーパースピードウェイの完成とレースを夢見ていたのです。(日本モーターレース創造の軌跡 p88-89)


コメント欄でminx-dx様からコメントを頂きまして、そこから一部引用させて頂きます。
伊豆スーパースピードウェイ計画地?と思われる場所に行ったことがあります。サイクルスポーツセンターの下田側だったとおもいますが、山の中に木が生えていない広大な土地が広がっていました。ヒルクライムやオフロードレースは70年代初頭まで行われていたようですね。
実地に赴いた方のコメントを頂きました。

実際に1966年頃のオートスポーツに建設予定地でのオフロードレース開催がされたという記録がある他、1967年のJAFスポーツには"キングオブザマウンテン"というヒルクライム競技が行われている記録がある。
7月30日 NAC・SSSA第3回キングオブザ・マウンテン 制限付き NAC、SSSA 伊豆モータースピードウェイ 
11月23日 第4回キングオブザマウンテン 制限付き NAC 伊豆修善寺 
(JAFスポーツ 1967年5月号 p29) 
サイクルスポーツセンターから下田側、つまり南側の土地に注目してみる。
多少開けた場所を発見することが出来た。
上記のコース図には南側に河川らしき図が見られるが、実際にこの場所の南側には川が流れている。





そこで過去の航空写真から同じ場所を見てみる。

1962年

1962年の同じ場所になるが、この頃はまだ、何も着工されていない頃である。
次に、1967年の同じ場所の航空写真

1967年
ある程度木が切り払われ、敷地が現れたようにみえる、そして、東側に周回路のような場所が見える。

そして、今の航空写真にオートスポーツ1965年4月号の情報に沿ってコース図を描いてみる。
Googleの航空写真に書き込んだ図
かなりコース図に沿って敷地が広がっているように見える。
つまり、今のサイクルスポーツセンターとは南側の敷地に本来のサーキット建設予定地があったのではないかと思われる。


実際にこの推測が合っているかは不明だが、塩沢進午氏の著書、日本モーターレース創造の軌跡(ネコパブリッシング)から一部引用すると
 その用地は、伊豆修善寺役場と地元民が人寄せの出来る「企業誘致」をしていた場所でした。広さは100万坪でした。1部は大仁田町原野、中心は修善寺町大野分の桑木平でした。この誘致に当たっては修善寺町は町有の約20万坪を無償で提供する用意までありました。
 山西社長は、当時の修善寺町大野区長小川守男氏と民有地の売買の予約をして約束証文としました。坪単価380円でした。 (p125)
とある。
ちょうど、この場所の西側が"静岡県伊豆市大野"という住所になるので、ここがサーキット建設予定地とほぼ間違いないのではないかと思われる。



そして、実際に東側にある周回路が前述されていたヒルクライム、オフロードレースの会場となっていた場所である。
ここは「伊豆ハイスピード・クライム・コース」として紹介されている。

伊豆ハイスピード・クライム・コース
所在地 伊豆修善寺町夏刈
ダート・コース 約1.2~1.4km
幅 10m, 高低差40m
コース使用 1日30,000円
コース図 JAFスポーツ 1967年8月号


ヒルクライムコース 写真

このサーキット計画が頓挫した後、NACと塩沢進午氏は「日本平スピードウェイ」や「東京湾岸スピードウェイ」などオーバルトラックの計画を複数立ち上げており、前者に関しては建設途中で頓挫している。
更に青森県の「むつ湾スピードウェイ」にてJAF脱退後、サーキットのオープニングレースとして、ストックカーレースを行っている。

-参考-
日本モーターレース創造の軌跡 (ネコパブリッシング)
オートスポーツ1965年4月号
JAFスポーツ 1967年7月号
JAFスポーツ 1967年8月号
JAFのリザルト http://www.jaf.or.jp/msports/results/n-race/index.htm

5 件のコメント:

  1. 大変な力作ですね。私もサーキットの歴史には興味があり、伊豆スーパースピードウェイ計画地?と思われる場所に行ったことがあります。サイクルスポーツセンターの下田側だったとおもいますが、山の中に木が生えていない広大な土地が広がっていました。ヒルクライムやオフロードレースは70年代初頭まで行われていたようですね。今後、日本平スピードウェイ(今はショートコースのゴルフ場、バンクの面影が現地に行くとわかる)、ニッポンサーキット(千葉の山の中)東京湾岸スピードウェイ(塩澤氏がバブル期に計画・挫折、これも千葉の山の中)など、期待しています。

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    1. このコメントは投稿者によって削除されました。

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    2. minx-dx様

      ありがとうございます。
      現地に赴いた感想というのは中々貴重なので、ありがたいです。
      コメントで挙げてもらったサーキットの中でも知らない物もあるので、まだまだ調査してみたいと思います。

      私もいつかは実際にサーキットの場所に行って何かしらの痕跡や、ヒント等を探してみたいと考えているのですが、時間も足も無いもので中々実行には移せていません。

      (誤って削除してしまったので、再掲します。)

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  2. 初めまして チャーリーと申します
    小生の父親は1960~70年代にモータースポーツに係わっており 懐かしくまた興味深く拝見いたしました
    なかなか読みごたえがあり いま感動すら覚えております

    さて そらまめさんの 『NAC箱根/伊豆スピードウェイ』の記事を当ブログにて勝手に貼り付けて公表致しましたので 事後では御座いますがご報告いたしました
    どうしてもあなた様の『完成された記事内容』が魅力的に思えたのでついつい引用してしまった次第です
    もしもお気に召さぬ場合はコメント頂ければ 即刻削除いたしますのでお手数ですが
    宜しくお願い致します
    またお邪魔致します 今後とも興味深い記事を期待して止みません
    それでは失礼いたします

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    1. ミスターチャーリー様

      こんにちは、ブログ主のそらまめと申します。
      よろしくお願いします。
      ブログは一応リンクフリーですので、ご自由にリンクなどを貼って頂いて大丈夫です。

      ブログに載せている通り、サーキットを建設している記事には一部直線が完成しているという記述がありますから、もしかしたら現在自転車用の走路になっている部分が一部として使われているのかもしれません。
      チャーリーさんのブログの返事にはなってしまいますが、レースを運営する団体というのは国によっては複数あったりしますから、そういう風に並行して運営出来ていたりしたらまた違った結末があったかもしれませんね。
      もちろん、それをよしとしない連中が居たからこういう結果になってしまったんでしょうけれども…

      最近は少しブログ更新が怠りがちになってますが、細々と更新して行きたいと思っています。
      よろしくお願いいたします。

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