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2013年1月18日金曜日

伊豆韮山サーキット (静岡)

伊豆韮山サーキット

1962年、日本で初の本格的な常設サーキットである鈴鹿サーキットがオープンし、翌年には第1回日本グランプリが開催され、日本でも現代的なモータースポーツが脚光を浴びた。
そして、各地でサーキット建設の計画が立ち上がった。
その中の一つ、伊豆韮山サーキットについて紹介したい。



船橋サーキットについて調べていると、ところどころに上がってくるワード「伊豆韮山サーキット」が気になったので調べてみました。
まず、船橋サーキットと伊豆韮山サーキットの関係ですが、両方ともコース設計にピエロ・タルッフィが関係しているということです。
ピエロ・タルッフィ

船橋サーキットのコース設計には元F1ドライバーのピエロ・タルッフィが関わっています。
船橋ヘルスセンターの狭い敷地の中を存分に使ったテクニカルレイアウトはタルッフィが作りました。

間髪入れずにピエロ・タルッフィがココ(船橋)にやってきて、この狭さでも充分にサーキットができると言うわけです。「それにしても、なんでタルッフィがすぐに来たんですかね。後になって、どこか別のサーキットの打ち合せで来たのがポシャって、で、コッチに来たんだという噂も聞きましたけどね」。(日本のレース100選 vol003 '65 船橋CCC)

「別のサーキット」これこそが伊豆韮山サーキットだったわけですね。
1965年のオートスポーツを読むと
伊豆韮山に目論まれていた日本通運のコース場建設計画は、用地問題で地元の反対にあい、一時ストップのようだが
とある。
残念ながら用地問題で頓挫してしまったそうです。
しかし、サーキット建設場所だと思われる場所が今でもあります。

大きな地図で見る「日本通運伊豆研修センター」というのがありますが、まさしくここが日本通運が計画していた伊豆韮山サーキット場の跡地でしょう。

もともとは日本通運が1964年に立ち上げた会社「日通伊豆観光開発」のレジャー施設の中の一つにサーキットがあったそうですが、上記の通り、用地問題でサーキットの計画は頓挫したそうです。

その理由を、日通伊豆観光開発の斉藤辰馬専務はこう説明する。「タルフィーに現地を見てもらったところが、理想的なレース場を作るには、どうしてもあと二十万坪はいるという。ところが土地を買い増ししても、地上権や、森林法で伐採ができないし、農地転換の問題がからんで来るので思うようにいかない。だから当時は、涙を飲んで計画を棚上げし、将来の捲土重来を期しているのだ」(財界 1965 4月 春季特大13より)

ただ、遊園地の計画だけは続いたらしく、1966年に「伊豆富士見ランド」として遊園地が開業したそうです。
しかし、その遊園地も1999年に閉鎖されたようです。
伊豆富士見ランド - wikipedia
その後の跡地が現在の日通伊豆研修センターという事だそうです。

同じ記事の中では、船橋の設計にあたり、日通の子会社の社長を通じ、タルッフィに依頼をした。だとか、そのまま伊豆韮山サーキットに関わっていた日通の役員が船橋サーキットの会社にそのまま派遣されている。という話も書いてあり、船橋サーキットと伊豆韮山サーキットの関係は思ったより深そうな感じでした。

2 件のコメント:

  1. こんにちは。こちらのブログのこのエントリーを参考文献として私のブログにリンクを貼らせていただきました。船橋オート閉鎖絡みの記事です。

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    1. ありがとうございます。
      船橋サーキットの記憶がまた消えてしまう可能性があると思うと寂しいです。
      これを期に船橋オートと共に船橋サーキットにも注目が集まるといいのですが。

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